サラスヴァティプージャーと宗教と私

2月3日にサラスヴァティプージャーがシヴマンディルで行われた。新宿区大久保のシヴァのお寺にて。

サラスヴァティは仏教では弁財天として描かれる知と芸術の女神のこと。その女神の恩恵を得ようと多くの人が訪れた。200人ぐらいは来たのではないのだろうか。特に新宿区大久保地区はネパール人が多く住んでいて、このお寺のお坊さんもネパール人が務めていらっしゃるからネパール人が多い。

お像

ちょうど一週間前にインド、コルカタから高さ130センチぐらいの大きな木箱に入ったサラスヴァティの像が届いた。まさにインドコルカタらしい目力のある女神のお像。カーリーヘア。立派なかんむり、背景のなんか派手な装飾、ヴィーナと本、白鳥…

地下の部屋に担ぎ込まれ、参拝できるように設置された。そして、すぐに顔に布を掛けられた。なるほど、これはプージャーの前日まで隠しておくのだなと思ったが実際はどうだったかわからない。2月2日、予定されていた儀式があるという時間に訪問すると「え、もう終わったよ、ポンディジ時間守らないんだよねー」と、あっさり。ポンディジはこのお寺のお坊さんの通称(「pandit ji=賢者さん」という尊称)。儀式には参列出来なかったけど、お顔を改めて拝観しお祈りすることができた。

コルカタから届いた美しいサラスヴァティ

そういうことで、これからは、このお寺は二つのお祈りする場所が出来たということになるのだなと思ったのだが…2月10日、一週間後に再度訪問した際、この立派な像は跡形もなく消えていた。「また来年だよ」と… あっさり。 ちょっと残念。

時間

2月3日本番は朝7時から8時半から、などと情報が更新され続けた。どうもこのお寺の運営者たちは時間通りという概念がインド的なのだろうか。準備できたらやる、主要メンバーが揃えばやる、が正解なのかもしれない。でも、プージャーの日取りは厳格という説も…。始まったのは9時ごろだったらしい。真面目に8時半に行った方は光栄なことに?プージャーの準備を手伝うことが出来たとのこと。プージャーは一時間ほどだったようだが、断続的に参拝者がくるのに対応して、午前中は何度も繰り返してプージャーをしてくれた。

書初め

サラスヴァティの恩恵を受けるため、小さな子供に初めてペンを握らせて、紙になにかを書かせるという儀式も何組か行われた。泣いてる子が無理やりペンを握らされて書くというシーンもあり、日本の獅子舞に子供の頭を噛ませる儀式のようでもある。小さいインド人の子たちかわいかった。

本やノート、グングル

サラスヴァティプージャーにはこれから勉強する本やノートを神前に供して、勉強が充実するように願う。ダンサーはグングル、足首に巻き付ける鈴を供して、健康に怪我や故障の無く踊れるようになどを願う。より良く踊れるように。私も初めてグングルをお供えした。そのときは願いとかなんとか浮かんできてなかった。まぁ大抵わたしはそんなもんで、なんかプージャーに参加できるってのがいいんよね。プージャーするときはサンカルパと言って「どうしたい」「どうなりたい」「彼女欲しい」「結婚したい」「10億つくる」とか言葉にして祈ったほうがいいと言われるのだけど。
(シヴァに叶えてほしいことがあるときはナンディ(牛)の耳にささやくという裏ワザもあるよ!)

名づけの儀式

昼過ぎから名づけの儀式が始まった。これはサラスヴァティとは関係ないとおもうのだけど。生まれてから11日目に名づけをするのだと。ちょうどこの日が11日目とのこと。生後11日の赤ちゃんはほんとに小さくて、かわいかった。日本では、生後11日だとまだ外に出さないものだよねと話していた。

儀式の後、お坊さんが占星術のチャートを書いて両親と祖父母たちと相談して名前が決まったようだった。

帰ってしまう日本人も

あとで聞いたのだけど、お寺に入ってきたひとりの日本人の方は、一階で行われていた名づけの儀式だけみて帰ってしまったとのこと。地下のサラスヴァティも観ず、2階でのプラサードも食べずに。1階で入ったところにだれか受付的な人がいたら良かったんだろうな。私が昼にベンガル人がつくるプラサードランチ食べれるとお伝えしていたということもあり、残念だった。玄関入ったら外国人だらけでなんかやってて、だれも案内してくれない状態では中を自由勝手に動いたりしにくいと思う。たぶん私は2階に居たのだと思うけど。

おどり

夕方にカルチャープログラムがあった。サラスヴァティが祀られている地下で私は踊りを奉納させていただいた。一方にサラスヴァティ、あとは270度、壁3面ぎっしりインド人に囲まれて、インドの古典舞踊を20分。

日本人による、インドの伝統芸能。日本でいうなら、お神楽をインド人がやったら?みたいなとこだろうか。よっぽど好きな人じゃないと間近に観たことないものだろう。

結果としては、「ジュースでも飲んでください(日本語)」と3人の人が1000円ずつくれた。インドでは伝統芸能の演者にダクシナといって気持ちをお金にして渡す文化があるみたいだけど、日本でお金を渡すときの言葉は「ジュースでも飲んでください」と、どこかで勉強されたのだろう。日本で社会に揉まれてこんな気遣いの言葉と行為を覚えて使ってくれるなんて、感動。他にも、インド舞踊を教わりたいといってくれたり、みなさん喜んでくれた様子だった。

8年近く付き合いのあるインド系の方たちの前で初めてちゃんと準備して踊ったから、普段の自分とは違う「これがインド舞踊やで!」って気持ちが出てきた。邪念! 

去年新しく教わった女神の踊りをサラスヴァティの前で踊れたということがありがたかった。

ヒンドゥー教なの? 宗教なの? 信者なの?

私は、インドの神様に奉納する踊りをやっているし、ヴェーダというヒンドゥの経典を勉強しているし、シヴァやガネーシャ、サラスヴァティなどインドの神々へのプージャー(祈りの儀式)を大事にしているから聞かれることがある。

たぶん、それを聞いた人の「ヒンドゥー教」「宗教」「信者」という言葉の定義やイメージとは違う。

ヒンドゥー教という言葉はインドじゃない国の人がつけた言葉で、サナータナダルマという生き方と教えというのが、インド人の世界観。

「宗教」といえば、〇〇真理教とか、〇〇学会とか、統一〇〇とか、〇〇の証人とか、宗教戦争とか…日本人からしたらバッドイメージしかないんじゃないかっていう(あくまでイメージです)。依存みたいに捉えるかもしれないし。スピ系にもいろいろであやしいものあるし。

で、私はと言えば。さくらももこのエッセイ本からインドに興味を持ったのだけど、文化に入り込み始めたのはインド舞踊の芸術的な素晴らしさからだった。その後、経典のひとつバガヴァットギーターを読んだら私の中にあるスピリチュアルな感覚と一致して興奮して安心した。

それで、バガヴァットギーターなど経典を教えてくれるヴェーダーンタのクラスに参加し、主催も初めて、そのときにクラスで料理も始めた。聖者と呼ばれる人に会ったり。シヴァのお寺に通うことにもなった。

シヴァさまばんざーい!と、お寺のプージャーの中では「ジャーイ!」と言ったりしてるわけだけど、床におでこをつけて感謝と祈りを捧げる振りをするのだけど、そんな深く心酔したり考えてやってるわけではなくて。この伝統文化の雰囲気の中に身を浸していたいという素朴な気持ちがそうさせているみたいだ。(いや心酔してるのかもしれない)

ヴェーダーンタを学ぶにも、この経典を、この先生を、この文化を信じてみようという気になればこそ、時間を作って話を聞けるわけだし、これをトータルに理解した先の世界を求めているというという意味では「信者」と言えるのかも。

最近はチベット系の教えにも触れたり、弥勒菩薩とか禅とかティクナットハンとかの縁ができてきたりもしてる。よりよくなれそうな世界があるならなんだって触れてみている。
「信者」と言えども、排他的ものでなく、強く人を勧誘するでもなく。

ただ、祈りに、舞踊に、伝えられる知識に、日常とは違ったエナジーに包まれる、そういうことを受け取ることはあったりするんだ。

サラスヴァティプージャーと宗教と私” に対して2件のコメントがあります。

  1. Makiko より:

    いつも乳幼児2人連れでお世話になっております。
    舞踊もお料理も、他ではなかなか得難い貴重な時間でした。素直に楽しかったです。
    来ている方々がみんな乳幼児に優しくて、とても助かりました!

    1. itihasa より:

      Makikoさんコメントありがとうございます。日本には無いアットホームでリラックスした雰囲気良かったですね。楽しんでもらえて良かったです。

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